sigurros_tetsuのブログ

事実をもとにしたフィクション

レコードストアデイ

(夜)

まず胸だが、パンパンに張っている

簡単な自重での運動

数種類の腕立て伏せ

プッシュアップを繰り返す

額に汗が滲む


次に足。やはりパンパンに張っている

同じく簡単な自重運動

スクワット。呼吸は乱さない

上下に揺れる。俺は一つのマシーンになる


汗をかくことは喜びであり

単に不快でもある

汗は蟻の巣のように俺の身体を伝い

表面いっぱいに塩を塗りたくる

塩で濡れた身体で

一人、部屋にいることは

間違ったことのような気がする


もっとも理想的な汗は

おそらくサッカー選手の汗だ

密室では流れない

地表の水滴や他所の汗と混じり

スパイクで掘られた穴をほぐす

ボブ・マーリーがサッカーに拘ったのは

それが平和と友愛の証だと知っていたからだ


サッカーとカッターを掛けた

簡単なジョークを言う

それによって場の空気を和ませようとした

場には俺しかいなかったが


固まってしまった塩だけが見ていた

俺は泣いているように見えるだろう

ただ疲弊して俯いているようにも見える


(風呂上がり)

明日はレコードストアの日だ

買うべきものが沢山ある

きっと並ぶ必要があるだろう


明日の電車を調べる

きっと俺は並ぶだろう

価値のあるレコードを手に入れるだろう

並ばないで買えるものには

なんの価値もない。のかもしれない


(夢)

犬と戯れていた。

レトリバーらしきその犬は

今までのどの犬よりも俺に懐いた

俺は赤い錠剤を皿に注ぐ


勢い余って粉が飛び散る

それは俺の膝につく。付着する

犬はそれを舐める

俺はそれをみている

それから左の人差し指を伸ばして触れる

ただの粉だ。おそらくプロテインとか

俺はそれを舌に持っていく

考える時間を作らず、舐める


カットがかかる

芝居になってないよ、と言われる

演技する気ある?

もしかして拗ねてるの?

俺は黙っている

俺は俺なりに演技をしているのだ

俺の演技が嘘くさいとか

下手だとかいうのは誰が決めたのだ

俺は君より上手である

じょうずであり、うわてである

俺だけがそのことを知っている


(朝)

気持ちの良い朝だった

筋肉には適度な疲労が残り

伸びをするとほぐれて音が鳴った

俺は準備する

レコード屋に並ぶためだ

目覚ましが鳴る

予定より早く起きれていたようだ

バイトだと起きられないのに


電車の中で音楽を聴く

ユニコーンの「珍しく寝覚めの良い木曜日」

「神様助けて」と歌っている

奥田民生は歌がうまいなあ

「助けてくれ」と叫ぶには

俺はあまりに満ち足りている

堪忍してくれ、と言おうにも

何が俺を堪忍しないのか見当もつかない


(昼)

レコード屋に着く

横浜の雑居ビルの2階

階段の真ん中より少し下

10人ほどの列に接続する

すぐ後ろからはあはあと息遣いが聞こえた

まるで犬のようだった


1人の男が犬を連れていた

男はサングラスをして

白い杖をついていた


犬はレトリバーだった

人のよう顔をしている

背中に「お仕事中」と書かれている

「伏せ」の姿勢をとった犬は

はあはあと荒い息をしている

俺は犬の顔をじっと見る

犬は俺の視線に気づかない

あるいは気づいていて、気にしない


「これレコード屋の列だって」

誰かが言うのが聞こえた

当たり前のことだ

今さら何を言っているんだ


間髪入れず一斉に人が動いた

列を乱し、我先にと前に行く

何が何やらわからなかった

俺も流れに乗って前に行く


人の群れはカードショップに吸い込まれていく

同じビルに入っているショップだ

彼らは勘違いして並んでいたのだ

俺は慌てて列に戻る


しかしそこにはサングラスの男と

立ち上がった犬しかいなかった


「何かあったんですか?」

サングラスの男が不安そうに言った

「間違えて並んでたみたいで」

「私たちも?」

「レコードの列ならこれです」

「そうですか」


俺はサングラスの男の手を引いて階段を登った

犬は少し先回りしては

一段ずつ登る男を見て尻尾を振る


11時にレコード屋が開いた

店には初老の店員のほか

男と俺と犬しかいなかった

俺は目当てのものを探し当て

レジに並ぶ。男の後ろだ

男はレコードを大切そうに抱えて

一枚ずつレジに置いていた


勘定を終えて店を出ると

男と犬はまだそこにいた

「レコードは見えるんですか?」

俺は不躾なことを聞いた

顔が赤くなる

「なぜか見えるんです」

「不思議ですね」

「オーラというか」

「オーラ?」

「良いレコードには良いオーラがあります」

「はい」

「それはわかりますか?」

「なんとなく」

「目が見えなくなるとはっきりわかりますよ」

男はニコッと音を出して笑って

リードを少ししならせた

犬は前を向き、主人を連れていく


(夜)

今日もまずは胸だ。

それから脚。最後に体幹

自重による簡単な運動

呼吸は乱さない。俺は冷徹なマシーン


しかし今日はスクワットを最後までできなかった

汗が垂れるのは単に不快だった

レコードを止める

耳障りだった


今日買ったレコードだったが

自分のものにできていなかった

レコードは他所行きの感じで

うまく距離を詰められない


レコードを止めると部屋は静かすぎた

俺は窓を開ける

夜に窓を開けるのは久しぶりだった


想像と違って風は冷たくなかった

火照った身体のせいか。

いや、夏が来たのか


俺は家中の窓を開ける

キッチンも風呂も全て開け放す

風が通り抜ける


二度深く呼吸をして

もう一度スクワットのポーズを取る

それからまた腰を落としていく

呼吸は乱さず、一つのマシンとして