sigurros_tetsuのブログ

事実をもとにしたフィクション

ニュータウン宣言とブログに書かないことについて 2022夏-2024年1月

ニュータウンVという名義で「ニュータウン宣言」というアルバムを出しました。サブスクで聴けます。いいアルバムです。これはその成立の過程についての記事です。

 

ニュータウン宣言 2024年1月リリース


1. ラッキーストライクと陰謀の歴史

2.朝定食(380円)

3. 月と眠剤、警備、警備、

4.たえろベイベー

5. 夜勤、夜勤(時給1,300円)※

6.残りの日

7.天使

 

作詞作曲編曲 小山哲 ※のみ作曲 ハルヤ

演奏、歌、レコーディング、ミキシング、マスタリング、アートワーク 小山哲

一部ギターとベース演奏 ハルヤ

 

Aこのアルバムは、全て私の住む4畳半のアパートで作曲され、ほとんどがそこで録音されました。この記事にはその過程の事実的な側面だけを時系列で記述しました。


Bこのアルバムは収録曲「夜勤(時給1,300円)」の作曲者で、ギターとベースを弾いてくれたハルヤと、ティザーの映像を作ってくれたヤエクラのおかげで完成しましたが、二人の貢献はここに書いてあることとはあまり関係がなく、むしろ精神的なものです。それを記事に書くことはできません。


①2022年の夏に仕事と学校をやめた私は、路頭に迷っていた。なんとなく乗っていた「普通」のレールから完全に脱落し、次になにをしたらいいかわからないまま、ポルノやYouTubeで聴覚と視覚を埋めることで、考え込んで死んでしまったりしないようにしていた。


②私はシラけた人間なので、23歳の自分のひどい現状を人ごとのように思っていた。が、シラけてみても生活になにも進展がなかった。停滞し続けたある日の深夜に、何かした方がいいな、と思った。メタを取って冷笑的なツイートをする暇があるなら、このひどい現状と、落ち込んでいる今の自分をなんらかの形にパッケージしてみよう、と思った。それで歌を作り始めた。


③その日から数日かけて、ボイスメモに即興で歌を録音した。ギターなど持っていないのでアカペラで。すぐに10曲ほどになった。友達のベーシスト(といっても何も活動していないアマチュア)に聴かせたら、悪くない気もするけど、形になっていないからわからないと言われた。次の週末に彼の勧めでギターを買って、二人で四畳半のアパートに泊まりこみ、ボイスメモにコード進行をつけていった。


④2回の合宿で、歪ながら5曲ほどが形になった。私はすぐに知り合いのドラマー(といっても高校時代に軽音部でドラムを叩いていただけ)に連絡し、三人編成のバンドを組んだ。とりあえず形にしなければ、と私は無根拠に焦っていた。その時は24歳になったことが大きな意味を持っている気がしていた。


⑤三人でスタジオに入って、私の作った曲を演奏した。何回かのスタジオ練習で、10曲ほどが形になった。私は二人を説得し、金を徴収し、4曲をレコーディングした。エンジニアはいい人だったが、プロによって整えられた私の曲はカッコよくなかった。もっと歪なままにした方が面白みがあると思ったが、それをどう伝えたらいいかわからなかった。納得のいっていない音源を目的もなく、しかし何かが起きることをどこかで期待して、ネットにアップした。


⑥音源を聴いたライブハウスの人に誘われて、何度か3人でライブに出た。手応えはなかった。練習を重ねる中で、メンバーに対して、自分のエゴを通さないと無難なことしか起きないが、エゴを伝えたら関係が壊れてしまう、と思った。その言い訳を反芻している私の演奏と歌は進歩せず、停滞したままだった。素人バンドの、妥協の末の演奏を誰が聴くのか。ライブのチケットノルマは捌けず、赤字が嵩むなか、気づいたらバンドは消滅していた。


⑦2023年の春にバンドが消滅して、私は再びポルノとYouTubeで時間を埋め、いよいよ金に困ると日雇いの仕事をする、というだけの日々を過ごしていた。停滞感は続いていた。ある日の深夜、何かした方がいいな、とまた思った。今度は全部自分でやることにした。作詞作曲編曲、歌、演奏、レコーディング、ミキシング、マスタリング、アートワーク、ディレクション、プロモーション。あと何が必要かわからないけど、とにかく全部。そうすれば言い訳できない。それでいいものが作れないなら、自分に才能がないと諦めて、違うことをしようと思った。


⑧10月に機材を買い、レコーディングを始めた。2ヶ月ほどそれだけに集中した。金はなかったが、遊ばなかったのであまり減らなかった。しかし音楽理論も知らず、ギターも歌も練習したことがない素人が、使ったこともない機材とソフトでレコーディングしているので、捗らなかった。私は一人で全部やることにこだわってテイクを重ねたが、結局どうしても弾けない一部のギターとベースを、友達のベーシストに弾いてもらうことにした。彼とはバンド消滅の付近で少し気まずくなっていたが、私のぼやけたイメージに理解を示してくれる友人は彼しかいなかった。


⑨2024年の1月にレコーディングが終わった。ボイスメモに録り溜められた歪な7曲が、歪なままパッケージされた。数少ない業界の知り合いであるトリプルファイヤーの吉田さんに音源を送った。制作の経緯は何も伝えていないのに、「人生のある時期にしか感じ取れなかった焦燥感とかぼんやりした薄暗さがパッケージされている」と、一発でコメントをもらった。あ、伝わるんだ、と思った。ほっとした。


⑩そうして「ニュータウン宣言」を2024年の1月にリリースした。全てがオマージュであることを示さないと欺瞞になる時代に、都心やタワマン街から外れた架空の平成的な住宅地で生まれた私の、シラけたたレペゼンとして

非意味的な世界における倫理の実践としてのリズム

ジョルジョ・アガンベンは「リズム」という語が、ギリシア語で「流れ去る、過ぎ行く」を意味するρέ ωに由来することを示した上で、一方でこの語には「この流れのうちにひとつの分裂、ひとつの中断を導 入しているように思える1」と指摘する。音楽作品における典型的なリズムについて考えてみると、それは 自明である。一定のリズムの反復は我々を陶酔させ、そこに「ずらし」としての変拍子やブレイクが導入 されると緊張が生まれる。そのような作用は、本来無限に流れ去る時間に対して、リズムが有限の区切り を設ける作用を持っているからにほかならない。

ところで、我々にとって最も身近なリズムは心臓の鼓動であろう。1 分間に 60 回から 100 回が正常値で あるこのリズムに、我々は慣れ親しんでいる。人間は急激な運動によって脈拍が早まり過ぎれば身体の危 機を感じるし、一定のペースが保てなければ自らの恒常性を保てなくなる。このような恒常性の仕組みは、 スピノザのコナトゥス概念と接続される。コナトゥスとは事物が恒常性を保つための仕組みである。当事 者研究の実践家である熊谷晋一郎は、人間におけるコナトゥスを維持しようとする機関を試験的に「内臓」 と呼んだ2。一定のリズムを刻む心臓の鼓動がその最たるものであることは疑いの余地がない。

スピノザはコナトゥスに十全に従うことが善であるとした。素朴に考えると、心臓の鼓動がコナトゥス と同一視されるのであれば、人間はその一定の鼓動を維持し続けるべきである。しかし人間はそのリズム を乱して走るし、複雑な変拍子を含むプログレッシブロックによって自らのリズムを崩されようとする。 このような事態に対し、人間のコナトゥスを複雑化することにより応答することが可能かもしれない。先 の例はあまりに素朴に過ぎ、走ることが、あるいはリズムを乱す音楽を聴くことが、コナトゥスを維持す るために必要な場合もあるではないか、と。これはあくまでコナトゥスを生への固執と捉える立場である。

一方でスピノザ研究者の國分功一郎は、コナトゥスを単に生への固執として捉えず、時には死の欲動と 同期しさえするものであるとする仮説を提出した。例えば「深夜にラーメンを食べてしまい、健康を害す る」という例について考えてみると、その栄養摂取行動は、人間の生物としての起源を辿ればコナトゥス の働きによると言える。しかし人類史の中で特筆して栄養を摂取しやすい現代においては、栄養摂取と生 存にはズレがある。このズレは単なるコナトゥスの誤作動なのだろうか。國分はフロイトタナトスの議 論を援用しながら、「コナトゥスを生への固執と捉える必要はない」という仮説を提出する。國分によれば 「さまざまな疾患を通じて死のうとしている生物がいるとき、コナトゥスもまたその死へと向かう過程に 寄り添っている3」。自分の外部のリズムに同期しようとすることは果たしてコナトゥスの一部なのか、あ るいはコナトゥスの外部なのか。これは非常に大きな問題であるように思われる。

國分の仮説をより深く理解するために、ニーチェの思想に立ち寄る。ニーチェによれば、人間は仮象の 世界に固執せざるを得ない存在であり、混沌の中で無意味に生成し続ける真の世界を拒む。その世界の非 意味的な仮象性を積極的に肯定する立場こそ、彼の積極的ニヒリズムなのであった。ニーチェにとってそ の積極的ニヒリズムは苦しみに満ちたものである。ニーチェの主張によれば、人間はあくまで現状の仮象 の世界に留まろうとする。この働きは先に提起された「コナトゥスを生への固執として捉える立場」と対 応する。その「自然」な固執に抗わなければ、仮象に積極的に向き合うという実践は不可能である。その実践のための芸術として、ニーチェは「生成の過剰」というモデルを提示した4。そのモデルにおいては、芸 術は存在に固執することなく、常に生成に向かい、さらにそのモチベーションは常にポジティブである。 ニーチェにおいては、この仮象の世界への固執と、その世界への恨みなどによるネガティブなニヒリズム は退けられる。この積極的ニヒリズムの議論に立ち寄ったあとでは、先の國分の仮説は、コナトゥスを単 なる生命への固執から解放し、ニーチェ的な積極的な世界の肯定を可能にするものとして立ち現れる。

しかし一方で、先の夜食の例を見れば分かる通り、我々はむしろ、あまりに安易に存在から遠ざかろう とする。ニーチェにとっては、存在に固執することが自然であり、積極的ニヒリズムは苦しみに満ちた反 自然的な実践であった。しかし現代においては我々の生活は勝手に過剰へと向かう。この事態には、資本 主義社会が深く関わっている。ドゥルーズ=ガタリが指摘したように、資本主義は、かつての社会形態に おいて信じられてきた質的な価値や対立を解体し、全てを貨幣という量的な価値に還元した。我々はニー チェに指摘されるまでもなく、この世界における「意味」が揺らいでいることを知っている。そして spotify、 ネット広告、その他全ての我々を取り囲む表象は、加速度的に私のコナトゥスを過剰へと誘う。であれは ニーチェディオニソス的な「生成の過剰」を目指したことと、我々が過剰な生成へと向かう音楽を聴く ことは、(同じように初期のワーグナーを聴いていたとしても)、異なるモチベーションに寄っている。む しろ我々は圧倒的な過剰の装置に晒されるという事態に受動的に釘付けにされ、疲れ果てている。

コナトゥスとしての内臓と Spotifyアルゴリズム、アルコール、向精神薬、それが私に訴えかけるその アフォーダンスは相互干渉しながら我々を過剰へと誘い続ける。コナトゥスはもはや我々の生命維持とは かけ離れた化物と化しさえする。Spotify によって強化され続ける過剰なリズムに、また、向精神薬、ドラ ッグ、そしてアルコールに我々は乗っ取られる。我々の直面する困難とは、ニーチェのそれとは違い、少 し気を抜くと内臓と、内臓の傾向を補強する身体の外のあらゆるアルゴリズムにコナトゥスを乗っ取られ、 過剰へと向かわされるというの恐怖と、そこに釘付けにされ続けるという苦しみである。

そろそろスピノザに戻らなくてはならない。スピノザはコナトゥスに十全に従うことを善だとしたが、 外的な刺激によって感情を乗っ取られることを強く批判した。エチカは喜びの倫理でなければならず、そ の「喜び」とは受動的に生まれる感情ではない。それは「自由で能動的な感情」であり、理性を鍛えること で生じるものなのである。単に加速的で過剰なリズムに感情を乗っ取られることは、エチカとは程遠い。 そのことはニーチェが積極性を善としたこととも響きあう。受動性に身を任せるだけではやはりだめなの だ。我々は Spotifyアルゴリズムから逃れ、自身のリズムを崩す、未知のリズムに向かう必要がある。そ のために必要なのは、勉強である。自身の心地よいリズム、またそれを加速させるアルゴリズムの「外部」 にある異物としてのリズムに触れ、理性を持って、それを理解し、自身のリズムを常に変革すること。外 部としてのリズムの有限化の作用により、カオスな世界を絶えず再意味化し続けること。そのようなリズ ムへの実践こそが、この社会においてのエチカになりうるのではないか。

千葉ロッテマリーンズのブルース

1

(明転)

B「えー、この星で千葉ロッテマリーンズが最後に優勝した1974年から現在にかけて経済は停滞と成長を繰り返しています。その中でも‥」

A「はい、タイムアップ」

B「‥まだ何も言ってないのに!!」

A「ダメだよ、ルールだから」

B「はい。‥じゃあ、ミュージックスターツ!」

A「‥だめだよ。やんないよ」

B「‥はい」

(暗転)

 


2

(明転)

A「いや、なんだかね」

B「はい」

A「なんだかこう、いい具合にならないもんかね」

B「なんだかですね。‥今日は、就活っすか?」

A「あ、これ?(髪を触る)そう。いつまでも無職ってわけにもいかないしね」

B「ついにっすか」

A「ついにっすね」

B「最後の砦感、あったじゃないすか?」

A「俺が?」

B「はい。なんか、ついにって感じですね」

A「まあな。マーラータン麺」

B「え?」

A「いや、別に」

B「はい」

A「あのさ」

B「はい」

A「俺こないだからさ、犬ドッグって言ってたの覚えてる?」

B「言ってましたね。鳥バードとか」

A「そう」

B「猫キャットは意地でも言わなかったですね」

A「まあ、猫キャットは違うよね。でもさ、あれ松本人志が先にやってたんだよね」

B「あ、そうなんすか」

A「松本人志も猫キャットは意地でも言わなかったぽくて。そこも被ってるわけ」

B「はい」

A「結構気に入ってたんだよね。もう、負けた、と思って、俺」

B「あー」

A「負けたんだよ、ほんと」

B「はい」

A「終わりだよ。だから、就活」

B「あーなるほど」

A「そう。全部終わり。小町、通り」

 


A「ハクション!‥あ、アクション!自分語り、入りまーす!‥セミ、鳴いてんなー」

B「‥そうすね、残暑」

A「俺はさ、セミになりたいな」

B「セミすか?」

A「そう、セミセミには、罪がない、悪もない。ただ理不尽な暴力があるだけ。罪がないんだから、その暴力は罰でもあり得ない。わかるか?そうあるべきなんだよ。…俺は社会的に完全に悪で、だから善人が俺を裁くわけだ。罰を与えるわけだ。つまり本当はね、セミなんかじゃないんだよ、俺がなりたかったのは。俺は、善人になりたかった。もちろんなんの罪も持たない人なんていない。でも自分を善人だと思えるような人になってみたかったよ。例えば、女。女には罪がない。そう、でも俺は本気。女たちは決して自分の罪を自覚することはない。そんな生き物と分かり合おうということの方が無理な話だ。うん、俺は、うん、そう思う」

B「あれすか、岡田に振られたのまだ引きずってるんですか?」

A「まあ、岡田のバットはすごいからな」

B「下ネタはやめてくださいよ」

A「そうじゃないだろ?」

(Bわざとらしく咳払いして)

B「シモーヌ・ヴェイユの思想を知っていますか?ヴェイユは「自己無化」の思想家なんですよ。神の恩寵を光とすると、「私」というものはその光を遮ってしまうわけです。つまり簡単に言えば、私のこの「エゴ」とか、「人格」みたいなものが罪を作っているんです。だから自分というものを透明にして、恩寵を遮らないようにしようというのがヴェイユの思想なんです。で、ヴェイユがどうやって死んだか知ってます?餓死です。戦争に行った友人の苦しみを思って、ご飯を食べなくなって、それで30代で死にました」

A「なるほど。で?」

B「いや、それで終わりです」

A「で、本当のところは?」

B「後輩に手を出して振られて凹むってマジでださいすよ、先輩」

A「ごめんて。明日も練習来てくれるかな?」

B「行きますよ、気が向いたら」

(暗転)

 


3

(明転)

C「しかしせっかくの誕生日なのに女の一人もいないのかよ。‥あ、君はいちおう女でやってるというか女で飯を食ってるんだっけ?いいねえ、女は」

(全員、笑う。D、立ち上がる)

D「じゃわたし女なんで全員分の水取ってきますね」

B「で、Cさんは今後どうする予定なんですか?」

A「お、今後の展望、気になるね」

C「いやー革命ですかね」

A「いや、そういうんじゃなくてさ、もっと身近な、ほら例えば今から三年のうちでなんかするみたいな、そういうのないの」
C「それで言うなら、本棚を買うことですね」

A「いや、身近すぎるだろ。なんでお前はそうゼロか百かなんだよ」

B「そうっすよ。てかさっきのCさんの冗談ヤバいっすよ。ほらD帰ってこないじゃないですか。どっかで泣いてるんですよ、きっと」

C「わかってねえな。泣きゃいいんだよ、泣きゃ。悔しかったら俺を泣かせてみろよ。飲み会はスポーツだ。そうだろ?」

(暗転)

 

(明転)

B「公園。AとBとCとEがいる。そこにヤンキーが来る。ヤンキーは、酒、あります?一緒に飲みません?と言って近づいてくる」

C「ああ、酒?あるよ、飲む?」

(Bにスポット。ABCパントマイムを挟みながらクネクネと動く)

B「これはやばいな」

C「とBは思っていた」

B「ヤンキーたちはズケズケとこちらのテリトリーに踏み込んできて、AさんとCさんはこんなの慣れっこだ、という風に対応していた」

C「そーれーでーそーれーでー」

B「ふと、Cさんがこう言っていたのを思い出した」

AC「飲み会はスポーツだ。そうだろ?」

C「どうする??どうする??どうする??どうする??(Bのセリフが終わるまで続ける)」

B「もう終電で帰るからさ、ちょっと今日は勘弁してよ、ほらこのお茶あげるから、と言った」

C「あるいはこうも言えるかもしれない」

B「それを聞くとあいつらは俺の手渡したお茶の蓋を開け、俺の靴にぶちまけた」

C「暴力は徹底的に非理性的なものであり、言語化されると即座に暴力への反省された意思とでもいうものに変わってしまう」

B「ちょっと勘弁してよ〜」

C「であるからサドを礼賛することはサドの暴力性を損なうことになる」

B「俺は冗談めかしてそう言った」

C「一度、理性を通して新しい快楽に変身すること」

B「冗談めかして言うことしかできなかった‥!」

C「自分が孤独者であること、自分の欲望が、暴力性が不合理であることを認め、声高に語ることをやめなければその矛盾を超えられない!」

B「恥ずかしい!恥ずかしいよ!!!!」

(B泣き崩れる)

B「みんな、恥ずかしいことを隠蔽しているんだ!恥ずかしいからツイートするんだ!恥ずかしいからルールを作るんだ!恥ずかしいから勉強するんだ!恥ずかしいから、いやしかしそれは悪いことなのか?」

C「ショートコント、うんこ寿司」

B「大将、うんこ一丁」

C「あいよ。ブリブリブリ」

B「ぱくっ!!!おえーーー!!!!(暗転まで咳き込み続ける)」

C「飲み会はスポーツだ。そうだろ?」

 


(暗転。そのままセリフが始まる)

C「で、AさんとBがやってるっていう稽古はどうなんすか?なんか、発表とかするんですか?」

A「いやー今のところただクネクネ動いたりホン読んだりしてるだけね。あんまりスポ根みたいに追い込んだりするの、もう嫌なのよ」

C「そうっすか」

A「そうっす。トーシューズ」

C「え?」

A「いや、なんでもない」

 


4

(舞台上に自転車を持ったAとタバコを吸う老人に扮したC)

C「君、あれかい?そろそろ就職だろう」

A「そうですね。そろそろ就活を始めます」

C「何にするとか決めてるの?」

A「いや、全然。ぼんやりと出版かな、とか思ってますけど」

C「出版は大変だよ。もっと安定した仕事がいい。そうだな、うん、鉄道とかな。俺の甥っ子がな、九州大学卒業して、九大だよ、名門の、九州大学。それで、九州大学卒業してからJRに入ったんだよ。今はそれで総武線の運転手してんの。総武線ね、東京の。嘘じゃないよ。本当の話。だから鉄道だな」

A「なるほど。そうですよね。鉄道、潰れないですもんね」

C「ああ、そうだな、たしかに、うん、ははは」

A「‥じゃあ、僕そろそろ‥」

C「俺の会社な、潰れてないよ。鉄道じゃないけどな。本当だよ。名前も変わってない。周りの一部上場の銀行は潰れたよ。A銀行って知ってるだろ?潰れてないんだよ。本当の話だよ、これは。…確かに鉄道は潰れないよな。でもなんだっけあれ、JR北海道は危ないよな」

A「‥そうですね。北海道はほんと貧乏くじというか、人がはいらない路線多いですもんね」

C「ああ、うん、ははは」

(A、会釈してイヤホンをつける。それから自転車にまたがる)

C「ちょっと待ちな」

(A、イヤホンを外しかけて、やめる)

A「え?」

C「いい話があるんだ」(A下を向く。リズムを刻む。天体観測を歌う。そして不意に止まる)

A「‥ロッテが今日も負けた?」

C「こんな話だ。再開発された駅前で、新しい駅前の機能についての説明会が行われるという」

A「涌井があんなに頑張ったのに?」

Cタウン誌の片隅に小さく書いてあった。それはほんの4行ほどの白黒の広告で、主催者の名前も連絡先も載っていなかった」

A「ロッテは今日も負けた?」

C「日時は7月の最初の火曜日、つまり今日の午後3時だ」

A「ちょっとしたミスで負けた?」

C「時刻は2時40分で、2時45分からのアルバイトに行く気が起きず、遅刻が避けられないことが分かると駅前に向かった」

A「何のための前進守備だ!!!!」

C「あれが新しく設置されたんですよ、と彼女が言う」

A「代打!ロッテ岡田!!!」

C「斜め上を指差していて、その先にあったのは」

A「46打席連続無安打‥」

C「ソーラーパネルと小さい風車が付いた電柱だった」

A「代打岡田に代打‥????」

C「お前はそれに近づく」

A「どーする??どーする?」

C「よく見るとそれが設置されている柱に張り紙がしてあった」

A「考えろ!確率を考えろ!」

C「お前は、それを読む」

A「岡田!岡田!岡田のバットはすごいんだぞ!」

C「「私たちは税金を使って奇怪な装置を設置することに強く反対します」と書いてある」

A「監督おかしいですよ!」

C「おかしいのはお前の打率だ!!」

A「繋いだ!繋いだ!日本文理の夏はまだ終わらない!」

C「思い出せ!思い出せ!」

A「どこかの誰かもこれが自律した機関であることに気がついたのだ」

C「岡田は、日本文理の出身じゃない‥??」

A「ロッテは今日も負けた」

C「じゃあ誰だ、お前は誰だ」

A「俺はしばらくその張り紙を眺めた後、こっそりと破りとった」

C「僕は、エヴァンゲリオン初号機パイロット‥??」

A「何のための前進守備だ」

C「違う、違う。俺の名は」

A「俺の名は!」

C「千葉ロッテマリーンズ、エリア66!岡田幸文!イエエエエエエエエイ(ここまで全力のサンシャイン池崎)ミュュュュュュュジック!スターーーツ!」

A「はーい調子はどう?

いい?グーオッケーあレッツラゴー

あら素敵な笑顔ねチャーミング-

ファッショングースタイルグー

あなたはグー私もグー

今夜はコンパでダンシング-

友達コンパをセッティング-

私は浮いてるキャスティングー

聞き流されるトーキングー

帰りは一人でボウリングー

グーグーグーグーグー

ホップステップジャンピングー

グーググーググーグググググググググーコォー!」

C「う、うおおおおおおおお」

A「ロッテは今日も負けた」

C「46年ぶりなんだ!46年ぶりなんだぞ!!」

A「風車は風向きに逆らって、ギイギイと音を立てながら、孤独な回転を続けていた」

C「おまんこ!おまんこ!」

A「で、本当のところは?」

C「ロッテは今日も負けた」

(暗転)

走り書き 自殺について

「自殺するからお前らの人生で一番幸せだったこと語ってくれないか」という2chの有名スレッドを久しぶりに読みたくなって読んだ。

自殺したいという主に対し、他の人たちが、もっと生きてたらいいことあるぜ、と言ってみたり、最近合コンで巨乳とやれたから俺は最高だぜ、と言ってみたり、かまってちゃん早く死ね、死ぬ気もないんだろう、と言ってみたり匿名掲示板のいつもの調子で書き込む。

その後主はなんやかんやあって自殺をやめるのだが、それでみんなに祝福される。社会の底辺のインターネットのゴミダメなような場所でも生は祝福されるのだ。それは情景として対比が効いていて端によかった。

俺は中学生の頃そのスレッドを読んで「世の中には意外と優しい人がいるんだな」あるいは「2ちゃんで言い争ってる人も死にそうな人に優しくするくらいの優しい気持ちはあるんだ」みたいな素朴な満足感を得た気がする。それから暖かい布団に入って寝たんだろう。俺は今にもまして素朴だった。それが少し羨ましい。

人は、自殺しそうなひとを見たら、止める。俺もきっとそう。でもそれはきっとその人の「命が大事だから」とかじゃなくて、「なんだかんだこの世に生きていた方がいい」という信憑を補強するために、つまり自分が生きていることを肯定したいがために止めたいだけなんだろう。俺はそのことをもう知ってしまっている。そういうメタ認知が成立してしまっている。しかしそれは不思議と苦しくはない。そのようなメタ認知の上で先のスレッドを読んでも、掃き溜めの中で生が祝福される情景に立ち会うことに少し心を動かされる。それは俺が彼らを馬鹿にしきっていて、あたかも神が天から血を見下ろすように微笑ましく思っているからだろうか。

いやそうではない。それでは結局のところ俺は少しも救われないではないか。俺はやはりあのスレを読んで少し救われたのだ。どんな社会的な要請や幼少教育や胡散臭い「本能」なるものが影響しているのかはわからないが、俺はやはり生きることに執着している。それを肯定されたがっている。そこ価値判断はない。ただ執着がある。

仏になるために執着を捨てるなんてくそくらえだ、と思う。思ってしまう。それはきっといいことでも悪いことでもなくて‥いや価値判断はないのだった。

言えるのは一言だけ。「生命万歳!」そういう気分だ。

レコードストアデイ

(夜)

まず胸だが、パンパンに張っている

簡単な自重での運動

数種類の腕立て伏せ

プッシュアップを繰り返す

額に汗が滲む


次に足。やはりパンパンに張っている

同じく簡単な自重運動

スクワット。呼吸は乱さない

上下に揺れる。俺は一つのマシーンになる


汗をかくことは喜びであり

単に不快でもある

汗は蟻の巣のように俺の身体を伝い

表面いっぱいに塩を塗りたくる

塩で濡れた身体で

一人、部屋にいることは

間違ったことのような気がする


もっとも理想的な汗は

おそらくサッカー選手の汗だ

密室では流れない

地表の水滴や他所の汗と混じり

スパイクで掘られた穴をほぐす

ボブ・マーリーがサッカーに拘ったのは

それが平和と友愛の証だと知っていたからだ


サッカーとカッターを掛けた

簡単なジョークを言う

それによって場の空気を和ませようとした

場には俺しかいなかったが


固まってしまった塩だけが見ていた

俺は泣いているように見えるだろう

ただ疲弊して俯いているようにも見える


(風呂上がり)

明日はレコードストアの日だ

買うべきものが沢山ある

きっと並ぶ必要があるだろう


明日の電車を調べる

きっと俺は並ぶだろう

価値のあるレコードを手に入れるだろう

並ばないで買えるものには

なんの価値もない。のかもしれない


(夢)

犬と戯れていた。

レトリバーらしきその犬は

今までのどの犬よりも俺に懐いた

俺は赤い錠剤を皿に注ぐ


勢い余って粉が飛び散る

それは俺の膝につく。付着する

犬はそれを舐める

俺はそれをみている

それから左の人差し指を伸ばして触れる

ただの粉だ。おそらくプロテインとか

俺はそれを舌に持っていく

考える時間を作らず、舐める


カットがかかる

芝居になってないよ、と言われる

演技する気ある?

もしかして拗ねてるの?

俺は黙っている

俺は俺なりに演技をしているのだ

俺の演技が嘘くさいとか

下手だとかいうのは誰が決めたのだ

俺は君より上手である

じょうずであり、うわてである

俺だけがそのことを知っている


(朝)

気持ちの良い朝だった

筋肉には適度な疲労が残り

伸びをするとほぐれて音が鳴った

俺は準備する

レコード屋に並ぶためだ

目覚ましが鳴る

予定より早く起きれていたようだ

バイトだと起きられないのに


電車の中で音楽を聴く

ユニコーンの「珍しく寝覚めの良い木曜日」

「神様助けて」と歌っている

奥田民生は歌がうまいなあ

「助けてくれ」と叫ぶには

俺はあまりに満ち足りている

堪忍してくれ、と言おうにも

何が俺を堪忍しないのか見当もつかない


(昼)

レコード屋に着く

横浜の雑居ビルの2階

階段の真ん中より少し下

10人ほどの列に接続する

すぐ後ろからはあはあと息遣いが聞こえた

まるで犬のようだった


1人の男が犬を連れていた

男はサングラスをして

白い杖をついていた


犬はレトリバーだった

人のよう顔をしている

背中に「お仕事中」と書かれている

「伏せ」の姿勢をとった犬は

はあはあと荒い息をしている

俺は犬の顔をじっと見る

犬は俺の視線に気づかない

あるいは気づいていて、気にしない


「これレコード屋の列だって」

誰かが言うのが聞こえた

当たり前のことだ

今さら何を言っているんだ


間髪入れず一斉に人が動いた

列を乱し、我先にと前に行く

何が何やらわからなかった

俺も流れに乗って前に行く


人の群れはカードショップに吸い込まれていく

同じビルに入っているショップだ

彼らは勘違いして並んでいたのだ

俺は慌てて列に戻る


しかしそこにはサングラスの男と

立ち上がった犬しかいなかった


「何かあったんですか?」

サングラスの男が不安そうに言った

「間違えて並んでたみたいで」

「私たちも?」

「レコードの列ならこれです」

「そうですか」


俺はサングラスの男の手を引いて階段を登った

犬は少し先回りしては

一段ずつ登る男を見て尻尾を振る


11時にレコード屋が開いた

店には初老の店員のほか

男と俺と犬しかいなかった

俺は目当てのものを探し当て

レジに並ぶ。男の後ろだ

男はレコードを大切そうに抱えて

一枚ずつレジに置いていた


勘定を終えて店を出ると

男と犬はまだそこにいた

「レコードは見えるんですか?」

俺は不躾なことを聞いた

顔が赤くなる

「なぜか見えるんです」

「不思議ですね」

「オーラというか」

「オーラ?」

「良いレコードには良いオーラがあります」

「はい」

「それはわかりますか?」

「なんとなく」

「目が見えなくなるとはっきりわかりますよ」

男はニコッと音を出して笑って

リードを少ししならせた

犬は前を向き、主人を連れていく


(夜)

今日もまずは胸だ。

それから脚。最後に体幹

自重による簡単な運動

呼吸は乱さない。俺は冷徹なマシーン


しかし今日はスクワットを最後までできなかった

汗が垂れるのは単に不快だった

レコードを止める

耳障りだった


今日買ったレコードだったが

自分のものにできていなかった

レコードは他所行きの感じで

うまく距離を詰められない


レコードを止めると部屋は静かすぎた

俺は窓を開ける

夜に窓を開けるのは久しぶりだった


想像と違って風は冷たくなかった

火照った身体のせいか。

いや、夏が来たのか


俺は家中の窓を開ける

キッチンも風呂も全て開け放す

風が通り抜ける


二度深く呼吸をして

もう一度スクワットのポーズを取る

それからまた腰を落としていく

呼吸は乱さず、一つのマシンとして

「シラケ」に汚染される私の意味世界。あるいは「レコードブーム」と私。

 

1.アナログレコードには本当に「意味」があるのか?

アナログレコードがブームだ。しかしこのブームは何もアナログ情報への回帰、というようなものではない。どういうことか。

アナログレコードという媒体は俗に「ぬくもりがある」だとか「自然だ」とか「音質がいい」などと言われるが、これは事実的な意味においては真っ赤な嘘である。筆者はオーディオに関してはほとんど門外漢であるが、それでもわかる間違いを簡単に挙げる。

まず、それは本当に「アナログ」情報なのか、という問題がある。「アナログ」レコードと言っても録音やマスタリングといった行程において、ある時期以降はまずデジタル処理が行われており、記録の方法がアナログであっても、大元のデータはデジタルである場合がほとんどだ。さらにアナログレコードを聴く人々の中には、USBケーブルや無線ランを使用している者さえいる。大元のデータも再生環境もデジタル変換されたもので、記録媒体だけがアナログである、という場合がありえるということだ。

次に人間の認識能力の問題がある。例えば音楽ストリーミングサービスの音源(主に256kps/秒)と、CD用に圧縮された音源、ハイレゾと呼ばれる巨大なデータを持つ音源を聴き比べ、音質の違いを認識できる人間は一定数いるだろう。しかし、ハイレゾ音源と「アナログ」で記録されているレコードを比較し、後者の方が「より自然だ」と認識できる者などどれほどいるだろうか。第一に(アナログ媒体においては顕著だが)完全にニュートラルな視聴環境を整えることが困難である(埃によるノイズや針、カートリッジの状態によって簡単に音質は変わる)し、そういった環境を可能な限り整えたとして、現代の技術においては、もはや人間の耳ではアナログと区別がつかないような洗練されたデジタルデータを家庭で楽しめる環境が整っていることは否定できない。

以上は、恐らくオーディオに少しでもこだわっている人間ならわかりきっている問題である。それでも彼らが(あるいは私が)アナログレコードをつい買ってしまうのは、人間の認識が事実認識だけによるものではない、ということを示している。

 


2.事実認識と意味認識、また意味の創造

 デジタルとアナログの区別がつかない時代。また、これ以上デジタルデータの解像度が上がっても人間の認識能力では「意味がない」時代。我々が生きているのはそういう時代だ。

では人間は自分の認識能力に合わせた媒体で情報を摂取すればそれで満足で、それ以上の技術開発(ハイレゾ、4K,etc…)には意味はない、のだろうか。

現実にはそうなってはいない。人々は常に、より高画質、高音質、高解像度の媒体、データを求め続け、それに飽き足らず存在しないかもしれない本物の、「アナログ」音源を求める。

先ほどアナログレコードに関する「ぬくもりがある」だとか「自然だ」という評価は「事実的な」意味においては真っ赤な嘘だと断じたが、これは必ずしもそれらの感想が間違っているということを意味しない。アナログレコードは音がよく、自然だ、というその信憑が、またそれを裏付けるかのようなレコードの手入れや針を落とす、というストリーミングサービスでは得られない手間が、「自然でぬくもりがある」音を生み出している、と言ってしまっていいのではないか。

 それに対して、「それはあくまで感じ方の話であり、実際に音が変わるかのような記述は悪質なレトリックだ」というような反論がありえるだろう。しかし、私はあえて「音は実際に変わる」と言いたい。繰り返しになるが、我々の認識には「事実的」でない側面がありえる。その構造を示すことが先の反論への応答になり得るだろう。

 ここでは広く理解されている例として、液晶テレビの宣伝文句について考える。最新の液晶テレビは4Kであったり8Kであったりするわけだが、私たちはその「事実的な」単位の基準に基づいて、それを欲望しているのだろうか?液晶テレビの広告に目を向ければそうでないことが分かるはずだ。そこに並ぶ文字は「圧倒的な鮮やかさ」だとか「未知の驚きへ」だとか、我々の主観によってしか測れないはずの「意味的な」認識への言及で多くを占められている。もちろん客観的なデータとしての画素数だとかへの言及もあるのだが、優先されるのはあくまで「私」の感じる「鮮やかさ」であり「驚き」である。というのもどれだけ高い数値が表示されていても実際に私がそれを感覚によって認識できなければ「意味がない」だろう。そこでの客観的な数値は「この媒体は事実的に解像度が高い」という信憑を形成するのに一役買っているに過ぎない。

 注意すべきであるのはそれらの認識は実際に私たちに認識される「ようで」なければならないのだが、「事実として」認識されているわけではない点だ。私たちの感覚は当然のことながら全能ではない。広告による視覚的、言語的イメージや文化人、芸能人といったある種の権威による推薦によってあるものがとても良いものである「かのように」見えることは否定できない。そしてそうであっても広告は何も嘘をついているわけではない。実際に「事実として」画質は向上しているのだ。たとえそれが人間には認識できないような高度なものであっても、事実として画質が上がっているのなら、それを上手く宣伝して売り込むのは当たり前のことだ。

 このように、世間で何かを表す際に用いられる「事実的な」言葉と我々の認識は必ずしも一致しない。いかに事実が事実として声高々に喧伝されようが、我々は事実の集積としての世界を俯瞰で眺めているのではない。我々は意味の世界を生きており、その世界においては「感じ方」が「事実」にまして「意味を持つ」。

そうであれば「実際に音質が向上している(と私に認識されなくても)」、「音がいいはずだ」という信憑が生まれれば私の「意味世界」において音は良くなる、と言えるのではないか。事実、レコードブームには愛好家による「自然な音」「良い音」「柔らかい音」といった評価に基づく信憑が大きく影響しているはずだ。愛好家の再生環境や大元のデータへの拘りは捨て去られ、「レコードは音が良い」という信憑だけが残る。私もそのブームに乗せられ、数年前にレコードの収集を始めた人間の1人だ。

そして「信憑」が適切に作用している限り、聴取者の意味世界において「音は実際に変わる」。これが先ほどのセンテンスの意味である。

 


3「シラケ」について

 しかしレコードマニアたちは常に不安に苛まれている(ような気がする)。第一章で述べた通り、アナログレコードを収集している者の多くはレコードが「事実として」音がいいわけではないかもしれないことを知っている。これでは「音がいいはずだ」という信憑は成り立たず、音は「良くならない」。その状況下でマニアたちは(少なかとも私の観測範囲では)以下の三つの立場をとりうる。

一つ目は「アナログレコードは「事実として」音がいい」と素朴に信じている群だ。この認識については第一章で反論を行ったが、ある意味最も幸せな人々なのかもしれない。

二つ目は一般に流通しているアナログレコードの欺瞞を認め、太古の「純粋な」アナログレコードを求めたり、可能な限り音質を上げるためにプレイヤーのセッティングに執心する群だ。彼らを最も誠実な求道者と見做すことはできようが、もはや一般的な愛好家とは一線を画しているし、何よりよほど資金がないと徹底することは難しい。

三つ目は自身の再生環境やレコードのデジタル処理による音質の限界を認め「あくまでレコードというメディアが「モノ」として好きで、音質は二の次だ」と嘯く群だ。ラディカルな立場である。もはや音質は関係ないのだ、ただ好きだから好きなのだ、と言ってしまえば、なるほどどんな批判にもびくともしない。しかし一度この立場をとれば、もはやレコードの音質は「良くならない」。それは単なる骨とう品と、それを模したレプリカに過ぎない「モノ」になる。筆者に最も近い立場はこれだが、はっきり言って「シラケ」た群だと言える。

 しかし様々な側面において我々はこの「シラケ」と直面せざるを得ない。我々は資本主義社会において欲望を煽られ、せっせと消費活動を行う。しかしその社会構造においては私は資本家に搾取され「消費させられている」のであり、私が「本当の求めているもの」なんてものはほとんど存在しない、という直感に襲われたことはないだろうか。私はそのシラケを振り払うかのように消費の求道者として消費を徹底するか、「そんなことは分かっているよ」と冷笑的なポーズを決め、自身の仮構された欲望の元、シラケた消費を行うしかない。そう、資本主義から逃れるすべはないのだ。

 


私の固有の意味世界は「シラケ」によって汚染されている。もうレコードを買っていい気分になることも自然にはできない。その状況を好転させる一手は私の手の内にない。

私はもはや前章の三つの立場のうち、三つ目の立場を取らざるを得ない。この構造を自覚した以上、私は盲目的な消費者にはなれないが、存在しないかもしれない意味を補強し、自身の目を眩ませるパワーも資金力もない。

意味をもたない私の執着や欲望を再び「意味化」するための議論は哲学史上にいくつもあるが、私の今のこの無力感を代弁してくれるそれはないように思う。

圧倒的な無意味さと向き合った先に何があるのか。私はその遭遇を先延ばしにしながら今日もレコードを買い、お決まりの圧倒的な無力感に包まれる。「ただレコードという「モノ」が好きなだけなんだよね」と嘯きながら。

コント「僕に彼女ができたんだ」

コント「僕に彼女ができたんだ」

 

〈起〉

若林「次の方、杉山さん、どうぞ」

杉山「失礼します」

若林「はいはいどうぞ。今日はどうされました?」

杉山「……あの、今日は」

若林「今日はあなたで最後ですからね。もう外は真っ暗ですよ」

杉山「はい、あの、僕こういう病院?に来るの初めてで、自分が病気なのかとかもあんまわかってないんですけど、」

若林「はいはい大丈夫ですよ、みなさん最初は不安ですから」

杉山「……はい。あの、それで今日来たのは」

若林「しかしあなたずいぶん太ってますね。ポケモン、じゃないんだぜ」

杉山「そうですね、太ってしまって。それで今日来たのは」

若林「ポケモンってなんか、こうヌメヌメしてる気がしません?あんまり毛が生えてる感じがしないですよね?」

杉山「え、はあ」

若林「え、ポケモンじゃ、ないですよね?」

杉山「え、いや、違います」

 

〈承〉

小山、奥から登場。

 

小山「先生、ポケモンの時代は終わりですよ!時代は、シンナーですよ!スーハースーハー」

若林「ああそうだよね。シンナーって2021年の今でも大人気…ってそんなわけねえだろ!」

小山「いけね、うっかりのペコりんちょ」

若林「でた、テツオ君のペコりんちょうっかりバージョン。杉山さん、ついてますね!」

杉山「え?」

小山「からの~~~三転倒立!」

若林「きたきたきたー!」

杉山「……その方は?」

小山「あ、僕ですか?」

若林「ああ、失礼しました。彼は当院の名物患者のテツオ君です。もう僕に懐いちゃって。まあ犬みたいなものですよ」

小山「はい、僕は重度の鬱病で職と恋人を失いました!おかげで今は先生の愛犬です!」

若林「テツオ君、問診票とって」

小山「はい、了解です」

杉山「うーん、怖い病院来ちゃったなー。あの!……僕は自分が病気だと思うんです。一番酷いのは幻覚で。統合失調症とか、そういうのじゃないかと」

若林「なるほど幻覚ですか。例えばどんな……あ、餌の時間だ。はい、テツオ君、キモチヨクナールだよー」

小山「わー美味しくて気分が良くな~~~~るーあへあへ~」

杉山「ああ、現実と幻覚の区別がつかない。もうだめだ。何もかも終わりだ」

若林「まあ落ち着いてください。杉山さん、とりあえず統合失調症の薬出しときますから。それ飲んでまた来週来てください」

杉山「え?」

若林「へ?」

杉山「いや、そんなあっさり出していい薬なんですか?」

若林「いや、だって統合失調症なんでしょ?今の時代、珍しくもなんともないですよ」

小山「統合失調症と掛けまして、ドアノブと解きます。その心は‥駄目だ思いつかない。先生、もっとキモチヨクナールを(若林、小山の皿にキモチヨクナールを盛る)」

杉山「いやだって、普通検査とかするもんじゃないんですか?あれですよ本で読みましたよ。精神科には毎日たくさんの人が自分を病気だと信じてやってくるけど本当に病気の人は一握りだって」

若林「あなた、あなたそれは悪い本を読みましたね。あのね、医者は患者を疑っちゃいけないんです。もう心配はいりませんから」

杉山「と、とにかく検査をしてくださいよ」

若林「あのね、私を舐めてもらっちゃ困ります。私くらいになるとね、わかっちゃうんですよ。あなたはどっからどう見ても統合失調症です」

杉山「お願いです。一度だけでいいんです」

若林「仕方ないですね、わかりました。じゃあ、これなんに見えます」

杉山「……え、問診票じゃないんですか」

若林「ぶぶー、白いノリでした。はい、テツオ君、白いノリだよ」

小山「むしゃむしゃ。こ、これはノリ界の名誉白人や!」

杉山「ああもうダメだ。俺は統合失調症だ」

若林「じゃ薬出しときますね。来週の同じ時間にまた来てください。(小山、こっそり紙を吐き出し、ゴミ箱に捨てる)えーとこれとこれを1ミリずつで」

杉山「え、いま口から紙捨ててませんでした?」

若林「そんなことないっすよ。君は本当に幻覚がひどいな。あとはこれを2ミリと……」

杉山「先生」

若林「おっとさすがのヘビーな統合失調症だ。これもつけときますよ」

杉山「おい」

若林「あとはこれを1ミリでおしまい、と」

杉山「おい」

若林「初回特典でキモチヨクナールも……」

杉山「あああああああああああ(机を蹴り上げる)」

若林「あ、何するんですか」

 

〈転〉

杉山,、血に濡れたナイフを取り出して振り回す。

 

若林「うわうわうわ」

杉山「もう頭が割れそうなんです。とにかく検査してください」

若林「……は、はい」

杉山「夢を見たんです。ちょうどこんなような診察室で、血まみれの白衣の男と一匹のイヌと、すき焼きをつつく夢を……」

若林「すきやき、ですか……」

杉山「それも相談したくて。これはいったい現実なんですか?」

若林「……なるほど!と、とりあえず検査しましょう。おいテツオ君、検査用紙持ってきて」

小山「(スーパーマラドーナ田中のように)えーーーー!マジすか!!」

若林「そういうのいいから」

小山「え、はい」

 

小山、パネルを取りにはける。

 

杉山「(嬉しそうにナイフを構えたまま)あーよかった!検査してもらえなかったらもう大暴れしてやろうかと思ってましたよ」

若林「え、あ、はあ」

杉山「どうかしました?」

若林「いやいやいや、なんでもないです、大丈夫です!テツオくーん!まだなの!?」

 

小山、虫取り網を持ってくる。

 

小山「先生、ありました!(虫取り網を持ってきて杉山にかぶせる)」

小山「え、これもう検査始まってます?」

若林「もういいから!ほんとに!」

小山「いけね、うっかりのペコりんちょ」

 

杉山,、ナイフを振り回す。

 

若林「すいませんすいません!えっと、じゃあ検査をしましょう」

杉山「はい、お願いします」

若林「えー、今からおこなうのは簡単な心理テストです。私がお題を出しますので、それに関して杉山さんの意見を聞かせてください。その結果で総合的に症状を判断させていただきます」

杉山「なるほど、お願いします!」

若林「まずは、えー、ペン、です。ペンと聞いて何を連想しますか」

杉山「…」

若林「大丈夫ですよ。思いついたことで」

杉山「人を、刺すものですね」

若林「病気ですね」

杉山「えーーーー!」

若林「いや、完全に病気でしょう。普通『人を刺す』なんて出てこないですよ」

小山「人を刺すと掛けまして、女の子に言っちゃいけない言葉と解きます。その心は「ブスッ」でしょう。ブスブス」

若林「…べ、別のお題にしましょう。じゃあ…電話、にしましょう。電話について、杉山さんどうお考えですか?」

杉山「人殺しの道具じゃないですか!本体で殴ってよし、コードで絞めてよし殺し放題じゃないですか」

若林「ああ、どうしよう。何なら人殺しと関係がないんだ」

小山「あ、そろそろお昼の時間ですよ。僕、ハンバーガー食べたいです」

杉山「いや、もう殺してるじゃないですか。ハンバーグといえば人肉、人肉と言えば殺人ですよ」

小山「え、マックの肉って犬の肉じゃないんですか?」

若林「いい加減にしてください!こっちは早く健康体であることを証明したいのに!」

杉山「それはこっちのセリフですよ。さっきからなんですかペンとか電話とか……全部人殺しに使うものじゃないですか!そんなに僕を異常者にしたいんですか」

若林「ええ…どうしたらいいんだ」

杉山「もっと日常的なお題にしてください。(自分の持つナイフに視線を向け)ナ、ナイフとか」

若林「いや、どうでしょうね……じゃあ、テーマを変えましょう。じゃあ、じゃあ女性についてどういうイメージがありますか?(杉山、一瞬考えこむ)今度はテツオ君から先に答えてもらいますから。テツオ君」

小山「はい、女性は、男たちの心を優しくケアします」

杉山「いやジェンダー観やばいな」

若林「そういう感覚はあるんだ」

杉山「女性はガンガン社会進出したほうがいいと思います。そうやって男性化した女性を最終的に男根でボコボコにするのが一番興奮するので」

若林「もうめちゃくちゃだな」

小山「先生さっきから様子が変ですよ。なんかビクビクして」

若林「今はそれどころじゃないんだよ」

小山「何か怖いことでもあるんですか?」

杉山「そうですよ、いったい何が怖いんですか。誰かに見はられてるんですか。おい!出てこい!あ、思考が盗まれないようにアルミホイルを巻かなきゃ」

若林「ち、違うテーマでもう一回やろう、やりましょう。次はうまく行きますから。えー……どうしようかな」

小山「僕がテーマだしましょうか?」

若林「お、テツオ君いいねえ。なんにしようか?」

小山「じゃあ原発についてとかどうでしょう」

若林「ずれてるよテツオ君。いつもは愛おしいけど今は厳しいなあ」

杉山「原発は良くないですね」

小山「お、杉山さんは馬鹿な左翼なんですね。先生はいっつも馬鹿な左翼を馬鹿にしているんですよ。安倍政権最高!」

杉山「ウワー!」

若林「テツオ君!」

小山「はい?」

若林「テツオ君ちょっとお茶とってきてよ」

小山「お茶ですかあ?」

若林「うんうん、冷蔵庫に入ってるのでいいから」

杉山「……みんな俺を病気扱いしやがって」

小山「本当にどうしちゃったんですか先生!いつも通りハッピーにエンジョイしましょうよ。からの~馬鹿な左翼のまね~(斉藤和義「ずっとウソだったんだぜ」を歌いだし、はけるまで歌い続ける)」

杉山「…俺は病気なのか?」

若林「もういいから、お茶とって来て!急いで!」

 

小山、お茶を取りにハケる。

 

若林「いやーすいませんね。なかなか難しいケースみたいで」

杉山「お前も俺を病気扱いするのか?」

若林「まさか。狂ってるのはあのテツオとかいうバカですよ。あいつは元から頭のネジが何本も外れてまして。もう、おまんこ野郎ですよ。それに比べて杉山さんは本当に賢くてジェントルで素晴らしい」

 

杉山、若林の声を打ち消すように「おまんこ」とわめく。

 

杉山「おまんこ。おまんこ!」

若林「素晴らしい。そうです。君はまともだ」

杉山「おまんこ!おまんこ!」

若林「そうです。そうやって吐き出して」

杉山「お、ま?」

若林「え?」

杉山「おま?」

若林「……おまんこ?」

杉山「おまんこ!おまんこ!」

若林「おまんこ!」

杉山「おまんこ!おまんこ!」

若林「おまんこ!おまんこ!」

 

二人、「おまんこ」が盛り上がり、その流れで踊る

 

杉山「うるせえ!!黙れ!!」

若林「え」

小山「(歌いながら登場)探し物はなんですか、見つけにくいものですか。(異変に気づき、動転してお茶を頭にかぶる。からのコップを杉山に渡し)あ、お茶でーす」

若林「ああもうだめだ。めちゃくちゃだ。殺される。あああ」

杉山「先生、彼女とかいないんですか?」

若林「…頼む、彼女だけは助けてくれ」

小山「え?先生彼女いないじゃないですか。なに見栄張ってるんですか」

若林「そ、そうそう彼女なんかいないよ。ちょっと口が滑っただけで」

杉山「先生、嘘ついてますね。写真見せてくださいよ。写真」

若林「…断じて断る」

小山「スマホ貸してください」

若林「駄目だ。お前は状況が分かってない。スマホは絶対に渡さない」

小山「喋りますよ」

若林「え?」

小山「いいんですか?先生がホリエモンひろゆきの新書全部買ってること、喋りますよ?」

若林「な、なにを馬鹿なことを」

小山「若林さんが落合陽一のオンラインサロンで100万溶かしたのも喋りますよ」

若林「俺が100万溶かしたのはそんな馬鹿な理由じゃない!いや、あの、溶かしたっていうか、別に溶かしたとか思ってないけど(苦笑)、まあ世間では色々言われてるからさ。なんか逆にその程度の世界への解像度でよく生きてこられたなっていうか(苦笑)。俺は西野さんのとこで「実力主義の世界」にいるからさ。で、思うんだけどさ「逆に」、「逆に」だよ、世間では何にお金を使うかっていう選択がすごく軽んじられてると思うんだよね、というのも‥」

小山「バン!(小山、若林の頬を殴りつける。倒れた若林からスマホを取り上げ、写真を探す)」

若林「あ、何するんだ(若林、スマホを取り返そうとするが、杉山に簡単に制圧される)」

小山「お、これか。(スクロールの手を止め、画面をじっと見てからスマホを床に置き、バキバキになるまで踏みつける)ハアハア。可愛いですね」

若林「ああ、ああ…」

杉山「先生、検査を続けてください」

若林「もう帰って下さい。お願いします」

杉山「大丈夫ですか。もしかして西日が眩しいんですかね。おい、クソ気狂いが、突っ立ってないでカーテンを閉めろ」

小山「はい!」

杉山「ねえ先生、僕は正常ですよね」

若林「お願いだ、帰ってくれよお」

杉山「電話が鳴るかもしれないのが怖いんですね。おらキチガイ、電話線を千切れ」

小山「はい!」

杉山「まったく、気狂いは話が通じなくて嫌ですね」

小山「もぐもぐ、電話線は美味しいなあ」

若林「ああ、ああ」

杉山「おしっこを漏らしそうじゃないですか。後で掃除しやすいようにしときましょう。おら、新聞紙を敷け」

小山「はい!(新聞紙を広げながら)お、先生の大好きな「えんとつ街のプぺル」が載ってますよ!」

若林「はあはあ」

杉山「身体がぶるぶる震えてるじゃないですか。ガムテープで後ろ手に留めて安定させましょう」

若林「誰か、誰か」

杉山「口が乾燥するといけないですから口にもガムテープをしますね」

若林「ん、ん!!」

杉山「(ナイフで脅しつつ)さあ先生、これで安心して検査ができますよ」

小山「ピクニックみたいでなんだか楽しくなってきましたネ」

 

杉山、「検査をしてください」と若林に迫る。小山「♪別に君を求めてないけど横にいられると思い出す「お前の」ドルチェ&ガッヴァ―ナの♪ん?♪お前のドル♪あれおかしいな。お前の♪あ、あれだ。♪ん、お前の♪そうそうこれだよ」と歌い直し続ける。突如、ボロボロになったスマホが鳴り出す。全員スマホに視線。

 

〈結〉

杉山「どういうことだよ」

小山「すいません、思ったより頑丈でした」

杉山「なんて書いてある?」

小山「サキという、たぶん女みたいです」

杉山「俺はこれに出るべきだろうか」

小山「杉山さん、あなたはそれに出るべきです」

 

杉山、恐る恐るスマホを手に取る。若林抵抗しようとする。小山に制圧される。

 

杉山「もしもし。はい。……(声色を変えて)若林です。ええ、若林です。そうだよ、お前を愛してる若林だよ。今日は、沢山の人がいてな。あとよ、今ちょっと遠いところにいて。で、当分帰ってこれないわ(若林、大声で唸る。杉山、若林を殴りつける)。あ?犬だよ犬。大丈夫大丈夫。ああ、全部キラキラしてるよ。まっくらで、キラキラしてる。お前を連れてきたかったな。愛してるよ。ごめんな、かわいそうだな、かわいそうだ。じゃあな、切るからな」

 

杉山、スマホを切って投げる。しゃがみ込み、放心状態。

 

杉山「ああ、もう何にもならなくなっちゃった。何にもならなくなっちゃったな」

小山「どういうことですか」

杉山「え?」

小山「今の女は誰ですか?」

杉山「サキという女です。先生の恋人かなんかでしょう」

小山「あと、あなたは先生じゃない」

杉山「え?」

 

小山、杉山からナイフを奪い、刺す。

 

杉山「先生、検査を続けてください」

 

杉山、倒れる。小山、若林の拘束をゆっくり解く。口、腕の順番に。

 

若林「ゲホゲホ、おい、何がどうなったんだ」

小山「大丈夫です、全部終わりました」

若林「テツオくん!ありがとう、助かったよ」

 

若林、目をはがして自分で立とうとする。小山突き飛ばす。ナイフを突きつける。

 

若林「な、なにするんだ」

小山「あなたは医者ですね」

若林「……ああ、そうだ。僕は医者だ」

小山「では僕はなんですか?」

若林「君は、患者だろ?」

小山「そうです。あなたの患者です」

若林「ああ、そうだ、君は患者だ。そのナイフを、下ろさないか」

 

小山、椅子に結びつけてある紐を解く。若林の方に投げ捨てる。

 

小山「先生、西日が眩しいですよ。逃げましょう。誰も追ってこない、全部がキラキラしたところに」

若林「…でも、どこに行ったら」

小山「安心してください。ちょうどタイムマシンがあるんです。行きましょう、ジュラ紀に」

若林「そうか!よーし、ジュラ紀に出発!」

杉山「(ガバリと起き上がって)この二人がやがて人類存続をかけた大事件に巻き込まれるのは、また別のお話」

 

暗転。