sigurros_tetsuのブログ

事実をもとにしたフィクション

朝ドラみたいな花屋でバイトを始めた話④ 母の日直前。人体実験。

4-1

57日。バイトを早上がりしてオンラインでのハイデガー読書会に参加する。今日はその後に飲み会があった。

ブログを書いている話をしたらメンバーのうち2人が読んでくれていた。割と評判が良くて嬉しい。それでつい口が滑って、それが事実を基にしたフィクションであること、今後フィクションの割合を増やしていくつもりであることを言ってしまう。

T君が、でもそれって結構怖いですよね。と言う。つまり、現実に嘘を混ぜていくっていうことが。そうだね、ある種の人体実験だと思うよ、と返す。

翌日からはバイトが忙しくなるので早めに切り上げて、寝る。そう、人体実験、と思いながら。


4-2

58日。母の日2日前。17時に出勤すると、店頭に大量の段ボールが並べられており、誰もが忙しく動いていた。店長に、何してたの、早く準備をして、と言われる。俺が連絡先を書いておいた紙が紛失してしまって早番の連絡ができなかったらしい。


Nさんにも急かされながら急いで着替える。店頭ではすでにヤマト運輸の人が手持ち無沙汰で待っていた。しかし荷物の準備はまだできていない。指示されるままに段ボールの蓋を閉じたり、上部に「お花が入っています」「上にものを載せないで!」などと書かれたシールを貼ったりする。その間にも店長に新しい仕事を言いつけられたりして、目が回るほど忙しい。


荷物の山が隣の居酒屋さんまで伸びてしまい、社長に、それなんとかして、と言われる。なんともしようがないが、少しずつ移動させてお茶を濁す。居酒屋はそろそろ営業を始めるようで、五十がらみの女性が暖簾をかけながら、大変ですね、と戸労ってくれる。その視線が大量の段ボールに向けられたままなのを見て、どきっとする。すいません、いま片付けますので。あら大丈夫ですよ、頑張って。

俺は言葉の言外の意味に疎いが、流石にまずいと思って、苦心して場所を開けようとする。


4-3

18時過ぎ。配送はなんとか間に合ったようだった。裏に明日の配送のための段ボールを取りに行く。Yさんが前方をふらふらと歩いているのが見える。見るからに参っていて、つい、大丈夫ですか、と声をかける。もう無理だよ、とYさんがわずかに笑って言う。3日近くほとんど寝ていないそうだ。元から細身のYさんが一層やつれて見えたのは気のせいではなかったようだ。


いつだかのYさんの教訓的な話を思いだす。こんな話だ。俺ね、むかし働いてた会社で、一個100万円とかの商品売ってたのよ、もちろん怪しいやつとかじゃなくて。それに比べたら花屋の仕事なんて、馬鹿みたいに単価低いでしょ?でもね、こうやって手で一人一人にものを売るっていうのも悪くないもんだよ。

その時もやはりどこか自分に言い聞かすような調子だったな、と俺は思う。


4-4

9時に社長がほっともっとで弁当を買ってきてくれた。Yさん、社長、俺の男性陣3人で弁当を食べる。社長はジェンダー観が危ないので、男性陣の弁当は問答無用で大盛りにし、女性陣の弁当は勝手にレディース弁当やら普通盛りやらを買ってくる。そのことについて誰も何も言わない。実際的なあれやこれやに追われている間はそんなことに気を遣っている余裕はないのだろうと思う。俺は自分のシニカルさが学生という身分に支えられていることを実感する。


基本的に黙って食べるが、Yさんと時々ポツリポツリと言葉を交わす。娘さんはどうしてるんですか。「花ちゃん」と呼ぶのは距離を詰め過ぎていらような気がして「娘さん」としたが、それは他人行儀すぎたような気もする。俺の実家にいるよ、とYさんが言うと、社長がすかさず、寂しがってるんじゃないの、と訊く。いや、全然平気みたいですよ、もう大きくなりました、とかそんな当たり前の会話。それをBGMに大盛りの飯を掻き込む。


Yさんがふいに、大学と花屋どっちが楽しい?と訊く。茶化すような調子で。俺は、大学も色々あるのでなんとも言えないとかもごもご言った後で、でも花屋は楽しいですよ、と言った。それは素直な気持ちだった。Yさんと社長が笑う。俺も少し笑う。

前に先輩のSさんにいろいろ質問された時より、ずっと素直に答えられたという実感があった。そしてそういうことって思いのほか人に伝わるみたいだった。


4-5

弁当を食べてしばらくは元気だったが、23時を過ぎる頃には帰りたくて仕方がなかった。足は棒のようで、頭が重かった。

花をケーキに見立てて加工する「フラワーケーキ」の箱を作るのがその日の俺の業務だった。必要な数は50個。一個作るのにだいたい2-3分かかるとして、2時間は覚悟する。


パーツ一つ一つに体重をかけて折り目をつけ、組み立てていく。完全な単純作業。一箱で6個作れるので、それを9セットこなすと考えた。最初の4セットくらいは楽しい。音楽に乗るように、身体が自然に動く。しかしやがて全身を束ねていたゴムが緩んでしまったかのように、各パーツの統率がうまく取れなくなる。

全身がバラバラに解けそうになりながら、なんとか作業をこなす。Yさんの教訓的な話、大学の友人の浮気相手のTwitterアカウントにフォローされたこと、自分が「こやま」と仮名で呼ばれていることなどを脈絡なく思いだす。


そう、俺は仮名で呼ばれているんだった。

ふいに、それが一つのリミッターであるような妄想をする。ブルースリーが戦闘中に重石を外し、それまでの数倍の力を発揮するような、そういうリミッター。

そんなシーンがあるかは知らない。イメージ。俺が本当の名前を告げた瞬間、この停滞した時間がさっと開けるのではないか、というイメージ。

隣でアレンジメントフラワーを作っているYさんをチラッと見る。「俺、本当はおやまなんですよね」と言ってみようか、と思う。

まったく馬鹿げていた。少し伸びをして、作業に戻る。


その日は結局、午前1時まで諸々の作業を続けた。Yさんや店長はその後もまだまだ作業があるようで先に上がるのが申し訳なかったが、俺の貧弱な肉体はかなり限界に近づいていた。帰ってからシャワーを浴びて、布団に入る。そして、これは人体実験だ、とまた思ってみる。



4-6

59日。母の日前日。この日は13時から出勤して、前日から続く大量の配送の準備をこなす。母の日当日に花を届けるには今日中に配送する必要があるから、忙しさの一つ目のピークだ。最大のピークはもちろん翌日の母の日当日。

昨日に引き続き配送の準備をしていると、男に声をかけられた。小汚いキャップを被り、ジャンバーを着て無精髭を伸ばしている、うちの街によくいるタイプの老人だった。A、開いてないの?と隣のAという居酒屋を指して言う。まだ早いから開かないんじゃないですかね、と作業の手を止めて答える。

じゃあ、昨日は開いてたわけ?そうですね、昨日は夕方から開けてましたけど。男は、そうか、どうも、と言いながらAを一瞥すると何処かに行った。常連客なのだろう、と判断する。


配送の準備が続く。Yさんが、無理だな、これは、と弱音を吐く。Nさんは黙って作業を続ける。きっと本当にギリギリなんだろう。

伝票が貼ってあるか確認し、段ボールの上部をガムテープで留める。留め終わったものにまとめて例のシールを貼る。「生もの」「お花が入っています」「上にものを載せないで!」。それから時々「われもの注意」。

俺はYさんやNさんの様子を伺い、自分の行動を実況中継しながら、作業をこなしていく。よくない兆候だった。あらゆることに対して他者感が強く

あり、何をするにもワンテンポ遅れる。ブログを書いているせいだろう。それも、嘘のブログを。俺はなんとか作業に集中しようとするが、どうしても空回りして、誰かを苛立たせ続けた。


配送は結局、間に合わなかった。数があまりにも多かった。最終的にヤマト運輸の人もシール貼りを手伝ってくれたりしたが、それでもダメだった。

全員がピリピリしていて指示を出す人によって言うことが変わる。それで理不尽に怒られることもあった。ヤマト運輸の人もギリギリまで粘ってくれてから、いよいよとなって発車した。残った分は社長が車を出して自分から配送所に届ける。それにもいくつか間に合わず、Yさんが追いかけるように車を飛ばす。


4-7

男性陣がみんないなくなると、嵐が去った後のように静かになった。もう6時を回っていた。店長たちは朝から何も食べていないのだという。コーヒーを入れるように言われて、お湯を沸かす。

急遽ヘルプに入ったバイトの女性の分も合わせて、9人分のコーヒーを入れ、表のテーブルに置く。

するとヘルプの女性がそれを揺らして溢してしまった。ガタつくテーブルのせいだ。溢れたコーヒーを拭いて、みんなでシュークリームを食べながら、話す。ヘルプの女性は昔からの知り合いらしく、女性の近況が主な話題のタネになる。俺は黙ってコーヒーを飲む。

いつのまにかコロナの話になっていた。今はどこの誰と話していても必ず出る話題だった。聞こえてくるワード。客足、配送が増えた、自粛、現金給付、隣の新しくできたマンションetc


俺の他にもう1人いる学生バイトの女性が、母の日手当てとかでないんですか、と冗談めかして言う。だって普段の3倍は働いてますよ、と。

店長が、お弁当とか出してるんだからそれで勘弁してよ、と言う。ねえ、こやま君。

はい、と言う。昨日の幕の内とかかなり豪華でしたよね。瞬間、空気が停滞する。昨日は、トンカツだったけど、と店長が言う。幕の内なんか食べたかしら、と。俺は曖昧に笑う。

話題を変えなくては、と思う。それで、今日の昼に隣の居酒屋Aを訪ねてきた男を思い出す。いま流行りの自粛警察というやつなんじゃないのか。聞いてみる。この辺って自粛警察とかいないんですかね。沈黙。場違いなことを言ったようだった。


うーん実はね、と店長の娘のMさんが話しだす。昨日から隣のAに脅迫めいた張り紙がされるようになったという話だった。やっぱり、と思う。俺は、大変ですね、とか言って、あとは黙った。会話は再び俺を介することなく周り出した。

店長に、コーヒー溢したんだからしっかり働いてもらうよ、と冗談めかして言われる。それが冗談なのか本当に俺がこぼしたことになっているのか分からず、とりあえず頷く。


4-8

その日は早くから出勤していたこともあり、10時には上がらせてもらえた。それでもクタクタだった。帰りにふと思い出して、祖母と母のために花を買う。お金が足りなかったらNさんがツケにしてくれた。


花を自転車のカゴに入れ、恋人に電話をかける。画面を操作しながら少し漕ぎ出すと、向かいから、だらしなく太って眼鏡をかけた男が少しこちらに寄ってくるのが見えた。不審に思ってハンドルを切ると、更にこちらに向かってくる。慌ててブレーキをかけてぶつかる寸前で止まる。

男は舌打ちをするでもなく、無表情のまま立ち去る。恐らく自転車に乗りながらスマホを使っていたことに腹が立ったのだろう。自粛警察と同じ類の人間だ。

恋人は電話に出なかった。俺は月を見上げながら、ゆっくりと自転車を漕ぐ。