sigurros_tetsuのブログ

事実をもとにしたフィクション

朝ドラみたいな花屋でバイトを始めた話② スケッチ 5月初め カフェ


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街に薄着の人が増えた。5月になっていた。日中は少し歩くと汗ばむような気候で、街全体を新緑の香りが覆っていた。世間はコロナ禍というやつらしいが、神奈川の外れにある小さな街にはあまり深刻な雰囲気はない。商店街には人が溢れ、一部のチェーンを除いてほとんどの店が営業していた。変わった事といえば、ほとんどの人がマスクをしていることと、飲食店が店頭でテイクアウトの商品を並べていることくらいだ。その光景にも、もう慣れた。

俺は自転車をヨーカドーの前の駐輪場に止め、いつものカフェに向かった。このご時世にカフェに通うのは流石に気が引けるが、自分の多動症的な気質を考えると1日を家で過ごし続けるのは難しかった。

以前は家の近くのマクドナルドに通っていたが、そこが臨時休業になったこともあり、少し高めのチェーンに水場を変えた。コーヒー一杯で480円はやはりいささか高いが、店内が広く、常に空いているのが気に入った。


窓際の4人掛けの席を陣取ると、アイスコーヒーを注文して本を広げる。阿部和重の「グランドフィナーレ」という本だった。3割くらい読み進めてあったが、筋が思い出せず少し遡る。コーヒーを持ってきた男の店員が何かを言う。聞き取れないが、聞き返さず適当に相槌を打つ。見知った店員だった。手際はいいが、あまりに早口なのでいつも何を言っているのか分からない。言うべきことがあらかじめ決まっていて、口がそれに追いついていないような印象を受ける。

コーヒーを飲みながらメニューを眺めていると、「ドリンクお代わり200円」と書いてあった。それを見てすぐに、さっき店員がモゴモゴと喋った言葉が「お代わり200円となっておりますのでお声掛けくださいませ」に変換される。こういうことがよくある。バイトでも何か言いつけられたことがその場で理解できず、とりあえず返事をしてから、ゆっくり脳内で言葉になっていく。いつも音が先にあり、そこに意味を見出してから、判断を下す。これが同時的にできない。


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そんなことを考えながら店内を見るともなく見ると、視点がある一点に固定された。その意味がまだ、俺にはわからない。視点の固定が先行し、そこに意味を見出すことができない。しかし少しずつ意識のピントが合っていき、それが人の顔であること、それも見知った顔であることに思い当たる。それから目を逸らす。高校の同級生だった。特に親しいわけではないSという男だ。同世代くらいの女と親しげに言葉を交わしている。

声を聞いていると、好意を寄せ合っている男女に特有の媚態的な様子が伺えた。このご時世にデートとは気楽なものだと思ったが、毎日のようにカフェに通っている俺が言えたことではない。俺は気づかれないようにそちらに視線を向ける。

女の方にも見覚えがあった。一度同じクラスになったことのある高校の同期だった。文化祭でクラスの出し物としてミュージカルをやった時に主演を演じた女だった。名前は思い出せない。

女の方と目があった。俺は視線を逸らす。女はしばらくこちらを見ていたが、特に何の感慨も抱かなかったようで会話に戻った。俺のことなど覚えていないようだった。


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阿部和重の「グランドフィナーレ」を読み進める。ロリコンの男がそれ関係の非合法の仕事がばれたせいで家族と離別し、故郷に帰る。そこで2人の女子小学生と親しくなり、2人の出る演劇の演出を務めることになる。2人は、近く控えた引越しによる離別のために悲観的になり、自殺を図ろうとしている。男は自分の欲望やその結果としての罪のため苦悩したり、新しい生活に生きがいを見出し、彼女たちを救おうと奮闘したりする。はっきり言ってよくわからない筋だ。何もかも唐突で、かつご都合主義的だ。


これはあれだろう。「信用のおけない語り手」というやつだ。男は全ての出来事を自分の都合のいいように解釈し、意味づけをしていく。趣味がバレたため女友達にひどく罵られるシーンがあるが、そのシーンも言い訳めいているというか、バランスを取るためのメタ的な言及であるように見える。露骨なメタの構造を取ることなく、小説が本来持つメタ的な構造を意識させるという「構造」。そういう風に読むとご都合主義的な展開が、「自分の物語に安住する人間」に「ついての」描写に変換される。

人が自分の物語に浸っているのを見せつけられるのは落ち着かない気分にさせられるものだ。さっきの男の店員のことを思い出す。彼の前では俺も「典型的なカフェの客」にならなければいけないような気がする。


少し虚脱感がある。本当は卒論のために読まなければいけない文献がいくつかあるのだが、気が重い。

Sと連れの女はMacBookを開いて、何かしら作業をしている。大学の課題かもしれない。

2人がMacBookを開いていることに、少し違和感を覚える。自分と同じように同級生たちも大学生や社会人になっているということが実感として理解できていなかった。

俺は今、3年後の彼らを透明人間になって覗いている。


このあいだ高校の部活の後輩のEという男に会った時も同じようなことを思った。Eが当たり前のように「コンドーム」という語を発したことにうまく馴染めなかった。勝手に置いていかれたような気持ちになった。自分は歳をとっていくのに、人のそれは見たくないというのはあんまりなエゴイズムだ。Eは帰り際に「おやま先輩あんまり変わってなくて安心しました」と言った。俺はうまく返事ができなかった。


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女の店員が申し訳なさそうな表情を作って声をかけてきた。コロナの影響で19時に閉店するとのことだった。俺は、わかりました、どうも、と言って時計を見やる。18時半だった。荷物を片付け、Sと連れの女の前を通ってレジに向かう。2人はチラッと俺の方を見たが、やはりなんの感慨も沸かないようだった。

朝ドラみたいな花屋でバイトを始めた話①


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朝ドラみたいな花屋でバイトを始めた。といっても別に花屋で働こうと思ったわけではなかった。経緯を書くと少し長くなる。コロナでバイト先が閉まってから何件か応募したバイトが全滅で、すがる思いで個人経営の小さなカフェに応募した。店主は小柄なおばちゃんで、何日か待たされた後に不採用を言い渡された。それも向こうから連絡があったわけではなくて、待てど暮らせど連絡がないので直接店舗に行ったら、そう言われた。おばちゃんは悪びれずに、コロナで大変なのよ。大学はどうなの、と世間話を始める。


俺ははっきり言って参っていた。この短期間でバイトに落ちたのは4件目だった。留年がほぼ決まり、同期が就活を本格化させる中、せめてバイトでもしようと重たい腰を上げたところだった。友人たちには内定が出始めていて、俺は研究の道に進むでも遊びまくるでもなく、ただ体調不良を言い訳に同じところに留まり続けていた。たかがバイトだぜ、就活でもなんでもないんだぜ。なぜ受からん。意味分からん。


俺ははっきり言ってやけになっていた。それで、粘ることにした。おばちゃん、俺も困ってるんです。今のご時世なかなかバイトもないんです(俺が落ちただけだ)。前にサンマルクでバイトしていたのでカフェの業務はかなりできます(2ヶ月持たずに辞めたし何より2年も前の話だ)。だからどうかお願いします(お願いします)。

おばちゃんはちょっと考えて、あまりたくさんシフト入れられないけどそれでもよければ、と言った。そして俺はカフェ店員になった。


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勤務初日、俺は花屋の床をモップで磨いていた。実はそのカフェ、隣接している花屋と経営者が一緒で、両方ともおばちゃんが切り盛りしているのだという。しかしカフェ勤務で雇われておいてなんの断りもなく花屋の雑用になったことは、それほど大きな問題ではなかった。俺はなんらかの労働ができる喜びを噛み締めていた。見てろよ、俺はやってやるぜ、と危険な航海に出る男のような気持ちで花屋の床をゴシゴシ擦った。


業務を教えてくれたYさんは20代後半くらいの好青年ぽい人だった。Yさんに指示されるまま雑用をこなしていると、店内に子供が駆け込んできた。そしてそのままYさんに抱きついた。Yさんは慣れた様子でその子を抱き上げ、話しかける。花、その帽子どうした、そうか保育園でもらったのか、とかなんとか。

ん、花?花という名前なのか?

遅れてもう一人子供を連れて、初老の男性が入ってきた。そして猫撫で声で、花ちゃん、元気だね〜と呼びかける。そこに店長も現れ3人で2人の子供を可愛がる時間になった。俺にはなんの説明もない。俺もなんとなく花ちゃんと目が合うと微笑んでみたりしながら、紙を切って貼るなどの雑用を続ける。3人の口調から、店長と初老の男性が夫婦で、Yさんはその義理の息子であることが推測できた。そしてその娘が花ちゃん。花屋の花ちゃん。

朝ドラか、と俺は心の中で突っ込んだ。


3人で何事か相談したあと、Yさんは俺に次の雑用の指示を出し、どこかに行った。俺は店の前を掃いたり、花に水をやったりする。家族で経営している花屋らしかった。まあこの小さい街の個人経営の店だときっと珍しくもないんだろう。そんなことを考えていると数人の年配の男性が通りかかって花ちゃんを見ては猫撫で声を出す。大きくなったね、とかそういうことを言っているらしい。それから初老の男性に、社長、新しい人入ったのね、と声をかける。

初老の男性が社長だったのだ。これは想像がついていた。しかし一人の年配の男性が出来るだけ気配を消そうとしていた俺のところに近づいてきて、あれでしょ、上智大学なんでしょ、頭いいね、んでY高校出身?じゃあ地元なんだ、と、俺の個人情報を並べ立てたのには少々面食らった。平静を装って当たり障りのないことを答えると、俺さ、そこで蕎麦打ってるから腹減ったら来な、量だけは沢山あるよ、と言う。商店街の蕎麦屋さんらしい。すかさず社長が来て、好きな時に行きな、食べ放題よ、と恐らく冗談らしいことを言う。みんなに合わせて俺も笑ってみた。商店街の人たちがそれぞれかなり親しいらしいことと、プライバシーみたいな観念が全然ないらしいことが分かったが、とくに嫌な感じはしなかった。ただもう一度、朝ドラか、と心の中で突っ込んだ。


Yさんは向かいのスーパーから帰ってくるとカフェの店内で花ちゃんにご飯を食べさせ始めた。それを商店街の人やら大人たちが囲む。当然カフェも周りの店も営業時間中である。俺は放置される。バイト初日で、店には俺しかいない。花の知識はなく、レジの打ち方すら知らない。俺は困った。俺はなんの人でもなかった。何をしたらいいかわからず、ただそこに立っていた。しかししばらくすると店長が帰ってきて、新しい雑用が言いつけられた。俺は安心した。俺はまた花屋の雑用になれたのだ。


それから何日かシフトに入って、バイトにも慣れてきた。いくつかの朝ドラ的出来事があった。まず事務所の掃除をしていて、大きめの灰色の毛玉を見つけた。よく見るとそれはかすかに動いていた。犬だった。花屋の店内の狭い事務所に犬がいた。

またある日は大雨だった。夕方からシフトが入っていた俺は起きてすぐ憂鬱な気分になった。すると見知らぬ番号から電話がかかってきた。Yさんだった。Yさんは簡潔に、今日は雨だからバイトはなしで、と言った。俺に依存はなかった。

それと時々勤務中に店長がコーヒーを入れてくれることがあった。完全に店長の気まぐれで、みんなで店内でコーヒーを飲む。花ちゃんとその妹に買ってきたチョコケーキを渡し損ねて勤務中に頂いたこともあった。手でケーキをつかんでYさんと一緒に食べた。はっきり言っていいバイトである。人も暖かく、適度な肉体労働は心地よい。


3

Yさんのこと。Yさんから聞いた断片的な話からすると、Yさんは都内の大学を卒業したあとどこかの会社に就職していたらしい。そのあと花屋の娘のMさんと結婚し、今は花屋で働いている。あるいはその逆で花屋で働き出してから、Mさんと結婚した。

Yさんは時々教訓的な話をする。このコロナのご時世でマスクを着用せざるを得ないので、俺は普段している眼鏡を外して勤務していることが多い。そのせいもあって店を閉める前の掃き掃除で、掃き残しがあることに気がつかなかった。

Yさんはそれを見逃さず、こんな話をした。俺ね、前にカフェでバイトしてたんだよ。で、とくに接客が良かったわけでもないけど、掃除だけはきっちりやってたの。そしたら時給が上がった。見てる人は見てるもんなんだよ。

俺は、目が悪くて、とか言い訳するのも違う気がして黙って聞いていた。Yさんは教訓的な話をすることで、俺が掃除の大切さに気づくことを狙っていた。俺にはそれがよく分かったが、とくにそれに反抗する気にもならなかった。


またある日は、Yさんはこんな話をした。頭の良い人ってね、割となんだって出来ちゃうのよ。でもこういう小さい花屋って細かい決まりがないから色々考えて動かないといけない。そういう能力ってのはまた実際にやってく中で、身についていくものだから。

Yさんは恐らく俺を頭のいい人であると想定して話していたが、あまりそれを否定するのも話の流れ的におかしい気がして、また俺は黙って聞いていた。この経験が何かに生きればいいね、と言った後、Yさんは、まあ何が向いてるかなんて色々やってみないとわからないけど、と付け足した。俺は、でも、Yさんは色々やったあと、この仕事向いてるって思ったんですね、と言ってみた。Yさんは照れ隠しのように、いやー俺マジで向いてないよ、ほんと不器用だし、と言った。俺は、ちょっと笑いながら、そんなことないですよーとか言った。


何もかもベタベタの会話だった。全てが正しく朝ドラ的だった。しかし俺はYさんやこの店が朝ドラ的に正しくあることについて、冷笑的な態度を取れなかった。俺は、その朝ドラさ加減にかなり感じ入っていた。


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話は少し花屋から離れる。俺はこの春休みに後輩に誘われて、ハイデガーの『存在と時間』を読む読書会に参加していた。メンバーは全員一つ下の後輩で、お世辞でもなんでもなくみんな俺より全然優秀だった。読書会の後はみんなで酒を飲むのが恒例だったが、今は読書会も飲み会もオンラインになっている。


オンラインの飲み会というやつは切り上げ時が難しいからついつい深酒になる。その日も時刻は2時を周り、みんなかなり酔っていた。彼らの中でも一際優秀なS君は特に酔っていて、ちょっとした話の流れで自身の哲学的立場を開陳することになった。

彼は、決断主義はクソだ、と言った。決断主義とは簡単に言うと、自身の実存的な問いを「ある物語を引き受ける」ことによって解決してしまうような立場だ。例えば、個々の生こそが、「この私」がどう生きるかを決断することこそが重要である、というような通俗的実存主義の解釈などがそれにあたる。


決断主義というのは普遍に至ることを放棄する立場だ、と彼は言う。それぞれが自分の小さな物語を信じて、それで救われてしまうと考える人間は哲学なんかやるべきじゃない。禅か宗教でもやるべきだ、と。彼の言うことは真っ当だった。ただ少し、どこか釈然としなかった。


それは、彼がちょっと強すぎるということだった。こう書くとあまりに情けないのだが、俺は彼よりずっと弱かった。一つの普遍、あるいは大きな物語を求め、あらゆる個別の「信念」や「物語」に安住せずに生きる、というのはなかなかハードなことだ。ほとんどの人は何らかの物語を内面化して、どうにかこうにか日々を過ごしている。それは、誰かへの愛だったり、貧しき人々への義務だったり、良心をなによりも大切にするような生き方だったり。はっきりとその理由は見出せないし、だからこそ人に強制するのは難しいけど、それに自分の存在をbetしているような何か。それがないと生きていくのはなかなか難しい。


俺もまたそういう何かにbetすることが難しいタイプの人間ではある。俺には強いシラケの波がある。周りが熱くなればなるほど俺は冷めていく。部活にも恋愛にも勉強にもずっとbetし続けられない。どこかで冷めて惰性になってしまう。だからと言って彼のよう一つの大きな物語を探す、という立場にbetすることもできない。そんな気分になることはあるけど、それはまさに「気分」であって、持続しない。気分が変わればまたシラケがやってくる。それは弱さだった。何かにbetすることができない、大きな物語を失った主体。そんな典型的にポストモダンな主体が俺だった。


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話は花屋とYさんに戻る。彼らはベタベタに朝ドラ的な生活に自分をbetしていた。もちろんそんなことを意識しているわけはない。意識した途端にそれは自分にとって本物の物語でなくなってしまうからだ。ただYさんは店長たちに比べてまだ日が浅く、しかも別の会社を辞めて自分からここに入って来たということもあって「betしている」という意識が少し残っているように思う。だから言い訳みたいに俺に教訓的な話をするんだと思う。

彼らを茶化す気には全くなれなかった。決断主義はクソだ、と思ってみても、自分の実存を引き受け、あまりにキチンと真っ当している人を見ると、やられてしまう。勝てない、と思ってしまう。

俺は帰り道、チャリに乗りながら土に水分を吸い取られた指を擦り合わせていた。仕事というのはなかなか悪くない。少なくとも仕事に没頭している時は自分のしょうもない自意識のことを考えずに済む。そんなことを考えていた。俺は何者でもなかった。何者かである、というのは結局は「自分が何者かである」ことを引き受けることでしかないのだろう。俺は「何者でもない自分」を引き受けられるだろうか。どうだろう。

朝ドラだったら、ここで急に立ち漕ぎを始めて、何事か叫んだりするのだろうか。それにしても、S君は本当にそんな馬鹿げたことをちっとも考えないのだろうか。わからない。俺は今日の晩飯のことを考えながら、少しだけ尻を浮かしてみた。